昔は大変だったが、こんなことでもお金になった。

 DOS時代のメモリ管理(EMS,XMS周辺)

今となっては、メモリなんてギガ単位で、8ギガなんて当たり前で、16とか32とかも当たり前ですよね、笛あおい。です。でも、ウチの会社の4ギガってのは、マジ人権問題。

てか、ウチの自作マシンは32ギガです、えっへん。まぁ、なんでこんなにメモリ積むのかは、後々のお話。

未来の話ではなく、過去の話。それも30年くらい前の話。その頃のメモリは640Kbyteが攻防でした、ええキロです。メガどこ行った。

笛あおい。はかなり古い人間で、テープでロードしたり音響カプラで通信したこともあります。その頃はロードだのダウンだのにはドリンクが必須でした。寝落ちしたこともありました。飲んで寝落ちではありません。単なる昼寝です。まぁFAXが高級品だった頃の話です。こんな話も出来ることがあったらします。

で、メモリですが、そもそもCPUが扱えるメモリ量が1Mbyteしかなかったし、360Kbyteは予約されていたので、ユーザで使用できるのは、640KByteだけだったというお話。コレをコンベンショナルメモリといいます。コレの取り合いだったのが、MS-DOSだの8086だの言ってた頃です。

その後、少しだけ時が流れて、ハードディスクというものが、やっと民生に降りてきた頃、ウチに初めて来たハードディスクは40Mbyteでした。今では、SDですらそんな容量のものはないですが、その速さを味わったときは、それは感動したものです。今でも、コンピュータ関係で一番感動した時はココかもしれません。

そんなハードディスク。それまでソフトごとにフロッピーをガッシャンガッシャン食わせたたので、そのソフトごとの設定が読み込まれていたので、表面化していなかったのですが、ハードディスクが来て、状況は一変。どうせハードディスクから起動して、ファイラでどうこうするなら、いちいちソフトごとに設定を変えて再起動するのはめんどくさいってのは、人間の欲望です。いやですねぇ。、

と、なると一つの設定で色々ソフトを駆動できると幸せなのです。ですが、ユーザが扱えるのは640KByte。いかにして、メモリフリーで起動して、バッチファイルでソフトを駆動するかが勝負となります。

そんな中、笛あおい。は、ATOKを常駐したままプリンセスメーカーが動かせた設定を作成します。当然、同級生2も動きました。コレも後々お金になります。

ですが、それができたのは、CPUが80386、いわゆるPC-9801DA。メモリもコンベンショナルメモリの他に、1+4MByteのプロテクトメモリを持っていました。なんでこんな表記かは、後々話すことがあるのかなぁ。。。まぁメモリが豊富だったため、本来はコンベンショナルメモリに置かないと行けない部分を、アッパーメモリブロックやバンクメモリなどに逃しまくって、開けていたのと言うのがホントです。

でも、コレもかなり難しく、メモリ配置を方眼紙に書き出しながら、命令の順番を決めていました。まぁカリカリにチューンした感じです。なので、不思議と近い環境でも、そのまま設定を放り込んだだけでは動かなかったです。なので、環境に合わせたチューンってのも大事でした。あと、さまようファイラHFにも助けられました。

で、コレがですねぇ、パソコンは買ったけど一太郎が動かせない、近所のおじさんたちから、小遣い稼ぎになったりもしました。扱えないなら買わなきゃいいのに。また、同級生2が動かせないボーイたちにも。

そんな感じで、昔は大変だったんだぞ。そんなお話。

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